母と娘での旅行など、関係性を変える旅行。その土地の文脈によって二人の物語を共有する・・・そういった関係性の変更。
地域包括ケアや介護というと、する側とされる側があり、受益者と提供者という関係が一方的にあるように思われるが、実はこの関係者が共有する物語、生成する物語が必要。
母と娘での旅行など、関係性を変える旅行。その土地の文脈によって二人の物語を共有する・・・そういった関係性の変更。
地域包括ケアや介護というと、する側とされる側があり、受益者と提供者という関係が一方的にあるように思われるが、実はこの関係者が共有する物語、生成する物語が必要。
また、ポジティブヘルスという考え方がとても面白い。ポジティブヘルスとは、「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに適応し、みずから管理する能力としての健康」という定義。健康を状態ではなく能力として定義しているのが面白い。
健康は目的ではなく、本人が大切と考えることを達成するための手段であり、身体的・医療的な面だけでなく、動機となるその人の価値観や要望に注意を向けている。その人にとって大切なことを見つけるためのテクニックとして「モチヴェーショナル・インタヴューイング」という技法を用いているのもその理由。
実は、慢性疾患の50%以上が、ライフスタイルと深い関係がある。その人の「望む生き方」こそ、ライフスタイルを変えるうえで重要なモチヴェーションになる。
ポジティブヘルスの概念を提唱したヒューバー(Huber)さんは以下のように述べているらしい。
キュア中心のヘルスケアは、実際にはヘルスケアではない、病気ケアだ。これからはほんとうにヘルスをもたらすケアを追求しよう。そのうえでもっとも効果的な『薬』は、本人にとって意味のある生活、生きがい。その底力となるレジリエンス(復元力、回復力)、機能力、自己主導を促進する事である。
また、このポジティブヘルスは、「身体的機能」「メンタルウェルビーイング」「生きがい」「生活の質」「社会参加」「日常機能」という6つの次元からなるとされている。
社会的共通資本は、宇沢弘文の概念。Commonsと同じような概念だと思う。社会的共通資本には、以下の3つがあるといわれる。
ここで資本という言葉を使ったのは、「資本」はある一時点における富のストックで「生産」や「消費」はフローの概念だからだと思う。
社会的共通資本と関連しそいうな用語に社会関係資本(Social Capital)という言葉がある。これは人と人とのがお互いに「信頼」(互酬性)でつながっている程度を意味する。この「社会関係資本」は「健康」に大きな影響を及ぼすといわれている。また社会的関係資本が豊な人ほど仕事ができるといわれているらしい。
「ボディイメージによるメンタルヘルス」ならば、以下のようなものが当てはまるのではないかと思う。
宇沢は、「社会的共通資本」は専門家の知見や職業的規律によって管理運営されなければならないという。
「社会的共通資本」は社会全体の共通の財産であり、人間が人間らしく生きていくために必要不可欠なものですから、利潤追求の対象として市場的な条件に左右されたり、国家の統治機構の一部として官僚的に管理されてはならないという事である。
その具体例としてチャイルド・リサーチ・ネットというところで以下のような例をあげている。
戦後マッカーサーが厚木に降り立ってすぐの頃に、一高にジープで占領軍が来た。一高を占領軍の施設として接収するために来たのです。その時に校長だった安倍能成先生が、その占領軍に対して、「この一高はリベラルアーツの学校である。リベラルアーツとは人類が残してきた芸術、文化、学問のことであり、ここはその偉大な遺産を次の世代に伝える sacred place (聖なる場所) だ。そこを占領などという vulgar (世俗的) な目的のために使わせるわけにはいかない」と言って、追い返したのです。
このように、高い倫理観や優れた人間的資質に裏打ちされた専門家が、社会の共有財産である「社会的共通資本」の管理運営をするべきであるとのべている。こうした管理運営をするNPO的な組織、財団的な組織があるべきなのではないだろうか?
この「社会的共通資本」を守る為の倫理観や専門家という部分についてもう少し突っ込んでみたい。
村の水系を守る為の祭りであったり組織であったり、聖なる場所(結界に守られた場所)を作る必要があるのかもしれない。